名誉院長ごあいさつ
お知らせ名誉院長ごあいさつ
2016年に森山記念病院が北葛西に移転して以来8年にわたり森山記念病院 院長を務めました。院長として職務を果たしてきた間は盧生邯鄲の夢、振り返って見ますと本当に早いものですが、思い出に残るエピソードを書き綴ってみたいと思います。
2016年6月に当医会、急性期部門は北葛西に新規移転し24時間365日、救急車を受け入れて参りました。
移転と同時に電子カルテへの変換は長い間、紙カルテに慣れた者にとっては厳しいものでした。「人はどんな事にでも慣れられる存在だ」(ドストエフスキー)今となっては電子カルテ無しというのが想像できないですね。患者さんと離れた位置にあっても瞬時にカルテへのアクセス、画像の検索が出来、更に手術中のライブ画像まで院内どこででも見ることが可能になったのは、正に隔世の感があります。
移動後、1年ほど経過してからの“疥癬”騒動も思い出されます。ある感染患者からのスタッフへの感染は徐々に全館に及ぶようになり、更にスタッフ家族にまで感染する状態となりましたが、スタッフの中には、そろそろ全館閉鎖ですね、と言う方も出る顛末。大村智博士がノーベル賞を受賞された、イベルメクチンの薬の内服、塗布薬にて収束に向かっていったことには安堵したものでした。以前、イソジン浴、ムトウハップが使用された時代を知る者としては、これまた隔世の感があります。知識は力なり、を実感したものです。
2019年10月、記録的な大雨となった、台風19号(その後、令和元年東日本台風と命名)も非常に印象に残るものです。降水量の観測史上1 位の値を更新する勢いで、伊豆半島に上陸。江戸川区臨海で最大瞬間風速43.8 メートルとなり観測史上1 位を更新、荒川の水位もどんどん上昇し、洪水寸前となり、我々も病院に泊まり込みながら刻々と変わる水位をリアルタイムで観察、備えたことは記憶に新しいことです。水害はある程度予測出来るものの、実際にそれを防げるのかというと難しさのある災害だと思います。
その後は、何と言っても2019年末に中国で発生した新型コロナウイルス感染症。その後の世界、同時爆発的感染が起こったことは、全国民に取って未曾有の体験であり、全ての医療関係者にも凄まじい恐怖を与えました。対岸の火事のように中国の巨大都市のロックダウンを見つめていたところ、日本の都市もその後同じ状況となってしまったのには驚愕しました。当初は致死率10%程度でもあり、幾人かの有名人が感染後死亡の経過を辿ったのにはショックを受けました。私自身も感染、その強烈な咽頭痛から来る呼吸苦、倦怠感は、死ってすぐそこにあるんだという感覚がしたものでした。
2023年5月に第五類感染症となり、対応もかなり緩和されましたが、それまでの4年間の社会への影響は甚大なものでした。以前から、世界の人的交流が容易に出来るようになった今、1918年のスペイン風邪の流行から100年経ち、こういうパンデミックが起こる可能性は、指摘されてはいましたが、実際その中に入ってしまうと、これからどうなるのかなど、的確に予想することは中々難しいものだと思いました。
以上振り返り、誇れる事は当医会の有事の際のチームワークの良さだと思います。新型コロナウイルス感染症でも、地域医療に多大なる貢献が出来たと自負出来るものがあると思います。発熱外来の屋外でのテント使用も、都内では他施設に先駆けて始めたものでした。
1923年9月1日の関東大震災から丁度100年が経過しました。2024年元日には最大震度7(人は立っていることができず、飛ばされることもある)の能登半島地震が起こりました。確率的に、関東にも大きな地震がいつ起きてもおかしくないと言われています。南海トラフ巨大地震の脅威も報道され、その際には最大震度7、広い地域で10mを超える津波が想定されるようです。地球温暖化もあり、水害の危険性は益々増している現況です。
当院は江戸川区の災害拠点病院、3病院の一つです。
知識は力なり。当医会は、これからも出来る限り万全の態勢が取れるよう研鑽し、未来を見据えて、一致団結、力を合わせて前進して行きます。
森山記念病院 名誉院長
松尾 成吾